PROSTORATA

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宝物

彼女はたいへん可愛かった。いつものように並んで歩く私たちの間には甘い綿菓子がふわふわと旋回し、互いの目線と艶やかな赤い糸がこれでもかと言うほど絡みあっている。私に向かう彼女の笑顔はやわらかく、声は澄んでいて、肩のあたりで切りそろえた髪がなんとも愛おしい。私は彼女のために生きている心地がしているし、彼女は私だけのものである。

下校時間になると私たちは互いにタイミングを合わせて一緒に家に帰った。何気ない会話を交わしながら笑い合う瞬間は、紛れもなく二人だけの時間なのだ。

「カバン、重くない?」

彼女は徒歩の私に合わせて自転車を押しており、カゴに鞄を入れるよう促してきた。

「大丈夫だよ。ありがとう」

なんて健気な子なのだろう。私は感動を胸いっぱいに受け止め、鞄は重いが跳ねるような足取りで歩いた。

 

♢♢♢️

「それで、今日の授業中にね」

アスファルトをゆるく蹴る音が心地よく響く。彼女が足元を気にしながら一定のリズムを刻み、それと同じ速さで私の鼓動が鳴る。

「すごく面白かったの。クラスの人は焦ってたみたいだけど」

「そうなんだ。楽しそうでよかったね」

風が彼女の髪を柔らかく持ち上げる。普段隠れているおでこが現れて、目元もよく見える。伏し目がちな目のまつ毛は短くとも濃く、簡単に瞳の中までは覗かせてくれない。ただたまに、目を合わせた時に恥ずかしそうに目を逸らす様子があまりに可愛らしいので、瞳の奥まで見えなくともいいのかもしれないと思う。

「先生も面白かった。途中から授業どころじゃなくなっちゃって」思い出しながらクスクスと笑う彼女。

笑った時に細まる目元も魅力的だ。目蓋が重いのを本人は気にしているようだが、それだからいいのにと思う。外見だけの話ではなく、彼女の内面にも本当によくあっている。なかなか見せてくれない瞳は、あまり外交的でなくおとなしい彼女のふと見せるお茶目な一面を見事に表している。髪の毛の漆黒も、彼女の繊細さをひとつひとつ積み重ねた深い色のように感じられる。小さな口からは細くもしなやかな声が伝わって、それも彼女の控えめだが芯のあるところと調和するように広がっていく。

私は人のこんなにも細かな部分にまで惹かれたことが一度もなかった。彼女のどこをとっても私には新鮮に感じられて、身体中の隙間を全て満たしてくれるようだ。こんなにも私が必要として、それに自然と応えてくれるような相手は彼女が初めてである。

「そういえば、今日の夜ご飯私の好物なの。すごく楽しみ」

内向的な彼女だが、私に対しては趣味や家族のことなどを話してくれる。彼女も、私に気を許しているのだ。

「聞いてる?」

私は彼女の話そっちのけで思考を巡らせた。彼女は本当に私だけのために、私と結ばれるために生まれてきたのかもしれない——いや、きっとそうなのだ。あまりに曖昧な話なので、証明が欲しい。どうすれば証明になるだろうか。触って確かめられるだろうか。肌に触れて、皮膚の厚みを確かめたい。髪に触れて、目に触れて、唇に触れて——ひとつひとつ感触を確かめたら、たった二人だけの世界を実感できるかもしれない。そうすれば、彼女も自然と彼女には私しかいないと気がつくだろう。そう、この世は君と私だけ。他には何もない、何もいらないのだ。世界が澄んでいるように感じる。なんて素晴らしい世界だろう。君にも早く、この素晴らしさに気がついてほしいのだ。

「きっと僕たち何にでもなれるよ」

「さっきからどうしたの」

彼女の声以外なにも聞こえない。

「ここには、僕たちしかいない。なんて素敵な世界なんだろう」

私たちは永遠だし、そうあるべきだ。

「他に何もいらない。君さえいれば、本当に、何もいらないんだ」

揺れ動く小さな火を、消えないように、私の腕で大切に大切に抱いていたい。せめて手を繋ごうと、彼女の指先に触れようとする。

「私ね、あなたのこと、好き」

彼女の手は私の手をかわした。

「でも、私が大切なのはあなたのことだけじゃない」

その途端。私のそばを横切る自転車が現れた。虫の鳴き声がした。葉が揺れた。水滴が落ちた。目の前が赤く光った。道の向こうからランニングシャツをきたオジサンがぜえはあとこちらに向かって走ってきていた。

彼女が景色の中へ埋れていく気がして、今度こそ彼女の手を強くつかんだ——それには程よい肉の弾力があって、生ぬるく、枝分かれしていて、関節で曲がり——。

彼女は、人だった。紛れもない、ただの人間だった。手をつかんでいようと、彼女は景色の中へずんずん沈んでいった。

彼女と目があった。真っ黒な瞳で、柔らかい目つきなのに、突き刺すような目だった。

ひやりとした汗が首を伝うのが嫌でもわかった。自分が凍りついたようになって、なにもできなかった。手を離してから、ただ沈黙の時間を過ごした。

『宝物』
制作日 2022/06/09
登場キャラクター -
メモ

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